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<イベント対談>東北におけるクリエイティブの可能性

2023年3月9日、やまがたクリエイティブシティセンターQ1(山形市)でトークイベント『Q1 REAL CREATIVE TALK「東北と学生と未来と今を。」(主催:株式会社スティーブアスタリスク)』が開催されました。「東北の価値とは何か」東北芸術工科大学の学生も交えて、東北の魅力や可能性について、クリエイティブの視点からそれぞれの考えを語りました。本記事ではイベント内で行われた、太田伸志氏と中山ダイスケ氏による対談の様子を再構成して紹介します。

地域のためにクリエイティブができること

—— このイベントは弊社スティーブアスタリスク代表取締役の太田伸志がホストを務めまして、東北芸術工科大学学長の中山ダイスケ氏と大学生2名をゲストにお迎えして対談形式でお届けいたします。第一部は太田、中山先生と東北におけるクリエイティブの今と未来をお話ししてまいります。イベント会場となっているこちら「やまがたクリエイティブシティセンターQ1」は創造都市やまがたの共創プラットフォームであり、弊社スティーブアスタリスクも東北拠点として3階に入居しております。今回このようなイベントをQ1で開催できることを大変深く嬉しく思います。
それでは早速、自己紹介も含めて代表の太田より今回のイベントの趣旨をお話しいたします。

太田 はい、ただ今ご紹介にあずかりましたスティーブアスタリスクという会社の代表をしている太田伸志と申します、よろしくお願いします。スティーブアスタリスクという会社は、一言でいうとクリエイティブカンパニーという言い方をしているんですけども、主に企業やいろんなファッション、食品のブランディングをしています。商品のブランディングをするためのロゴマークはどういうものがいいのか、コピーはどういうものがいいのか、商品のパッケージや映像を作ったり、最近ではイベントの空間のデザインなどを行っています。 僕はもともと宮城県の丸森町に住んでいて、どうしてもデザインがしたくて東京に20年前に行きました。そして東京で作った会社がスティーブアスタリスクなんですけど、半年前に僕個人として丸森町にUターンで戻ってきました。リモートワークを中心にしながら東京に時々行ったり、山形の芸術工科大学、中山学長がやられている大学で講師もさせていただいています。山形もすごく大好きで、そんな時にこの「Q1」という施設ができたので、そこを一つオフィスにして山形にも拠点をということで、今日イベントを開催させていただきました。ゆっくりいろいろと何をやろうとしているのかなども話せるかと思いますのでよろしくお願いします。

中山 太田さん、(社名の)スティーブアスタリスクっていう名前はどういう意味なんですか。

太田 僕はスティーブジョブズに憧れがすごくありまして。彼はすごく考え方が面白いので、ジョブズが生きていたらこういうことをやれるんじゃないかなということを代わりにやろうという決意をもって。

中山 「*(アスタリスク)」が(会社の)マークですよね。

太田 そうですね、僕はもともとシステムエンジニア出身でして。「*」はプログラム用語で掛け算を意味するんですよね。ジョブズ的な考え方で世の中のいろんなことに掛け算をしたら何が起きるかってことです。

中山 素敵な名前です。

太田 ありがとうございます。

—— では続きまして、中山先生、自己紹介をお願いいたします。

中山 はい、僕はそもそも大学でデザインをやっていて、空間芸術とかやりながらニューヨークに行ってたんですけど。日本では大学に入る時にデザインを選ぶか、アートを選ぶか、問われるんですね。芸術大学に入るときに絵が好きな人は油絵にいくのか、それともデザインなのかというように。僕もずっとそういう固定観念でやってたんですけど、アーティストとしてニューヨークに行ったらデザインの依頼がたくさん来ちゃって。ニューヨークでデザインの会社を作って、アーティストとしてギャラリーで展覧会をしたときも、アートとデザインが混ざっていたんですね。そんなときにすぐ家の近くで9.11のテロがあったんで帰国せざるを得ず、帰国したらデザインやアートでいろんな大学にゲストで呼ばれて、京都で呼ばれたゲストの授業が大当たりして。それで京都造形大の方から「東北に姉妹校があるんだけど、そこのグラフィックを立て直してほしい」って送り込まれました。その時は東北は6県どこにあるかも言えないくらいで、東北ってなんというか「おしん」みたいなイメージしかなかった。関西の人間としてはあんまり東北を知らなかったんで、なんとなく1回来てみたんですけど、そうしたらすごく面白い出会いがいっぱいあって。4年契約だったのが、延長延長でもう15年。学長までやって、人生はわからないですね。

—— これまで手がけてこられたものなどもご紹介いただけますか。

中山 山形に長くいるきっかけになったお仕事で、山形食品っていう全農山形のジュースを作ってる会社がありまして。当時果実が傷ついて生食で出せないリンゴとかいろんなフルーツが廃棄品としてたくさんそこにやってきて、それで果汁を作っていたんです。それで、その時の常務の方が僕のところに山のようにジュースを持ってきて飲んでみてくださいというような話から始まって。このジュースのクオリティは農協の会員に配るだけじゃもったいないですよねと、全国で売れませんかという流れで引き受けたブランディングの仕事でした。このジュースは今でも売れてて、東京の高級スーパーにもあるし、ハイクラスなホテルでも常備のジュースになってたりするんですけど、この商品によって農協さんの中にある会社の立ち位置が変わってきた。最後に売れなくなった農作物を処理するというところじゃなくて、そこが新しい商品を生み出せる、ヒット商品を生み出せるようになったんですね。今は大手メーカーさんのジュースもたくさん作っています。

太田 その流れが1番面白いですよね、会社の仕組みも変わっていくところが。

中山 仕組みを変えていく社長のリーダーシップを見せてもらったんで、そういう意味では僕も1個のきっかけで大学を変えていこうとか、大学があることで町が変わるんじゃないかなって、山形で仕事しようと思った。ほんとにこのジュースのヒットのおかげです。

中山 もう一つは、東京の築地にある築地本願寺という所で、このお寺を何とかしたいという内容でした。お寺って昔いろんな村々にあって、学校でもあったし、夫婦の揉め事を解決する裁判所でもあったし、薬師寺って名前にもあるように医療の現場でもあったし、集会所でもあったし、コンサートハウスでもあったし、お寺ってそういう町の機能を持ってるんですね。築地本願寺って東京のど真ん中にあるんですけど、それがどんどん貸し駐車場や貸しスペースになってしまって、時々有名な芸能人のお葬式をやるだけみたいな状態で。日本で一番大きな伝統宗教なんですよね、浄土真宗本願寺派って。それでそこの東京支部として、築地本願寺を現代のお寺の機能にしたいということでシステム作りから入っていったんですよ。7年くらいクリエイティブディレクターをやってるんですけど、築地本願寺の地下にお墓を作りました。未来永劫、本願寺がなくなるまで残せる地下墓地。築地本願寺の地下に作ったっていうのは大変価値があるんですよ。それもとっても難しいいろんな文化庁とのやり取りを経て作って、48000基の地下墓地を作って、今26000売れてて、年間売り上げ28億円になってます。

太田 お寺っていうものがそもそもどういう風にあるべきかというところから考えるのもクリエイティブディレクション。

中山 そうですね。だから築地本願寺の取材で山形にある本願寺派のお寺を見に行ったりとかしました。今、どんどんお寺ってなくなっていってるんですね。檀家さんがいなくなって村での機能もなくなって。そのお寺をどうしようかって見つめなおす機会もあって。お寺とか神社とか小さいころから好きだったんでずっとやってます。今は学び回れるカフェもあるし、築地本願寺のレストランとかは朝に行列ができています。朝がゆを出してるんですよ。あれもフードディレクターに行列ができるごはん屋さんを作りましょうってことで。この仕事はずっとやってて、うちの会社では「出家」って言ってるんですけど、週に1回、社長か副社長のどちらかが定例ミーティングに行っています。

太田 新しいですね。週末大工みたいなニュアンスで。

中山 そうですね、楽しいですね。自分が入りたいお墓を作ったんで。僕も子供がいないので、いつか一人になったときに、なんだったら生前後買っとこうかなと思って、それがかっこいいと思ったんです。

太田 これ結構大事な話だなと思うんですが、僕もクリエイティブディレクションをやらせてもらってて、グラフィックの仕事とかクリエイティブの仕事って、出来上がったロゴとか、交通広告とかを作る仕事だと思われがちなんですけど、やっぱりそもそもお寺ってどういう存在なんだとか、このブランドって何の意味があるんだろうみたいなところから提案していく、考えていく、整理していくという仕事でもあるので幅広いんですよね。

中山 さっきのジュースも生まれて初めて作りましたし、缶のパッケージも初めてだったし。そもそも100%ジュースをじっくり眺めたこともなかったので、たくさん飲ませていただいてようやくコンビニにあるジュースの100%の意味を知った。一から勉強する、そういうこと多いですよね。

太田 多いです。毎回初めてのことですね。

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