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出羽国・タイ王国 交流記

友好協会の存在

※この記事はFuture SIGHT No.93からの再掲です。

旅行屋(タイで起業41 年になる)の私にとって観光産業は専門分野だが、安倍政権によりアジアの国々からの入国ビザ制限が撤廃され、海外からの旅行客も多くなり、少子高齢化・人口減少に悩む日本の地方自治体にとって海外からのインバウンド事業は避けて通れない課題となった。毎年10 月頃になると全国各地の首長(市長が多い)が弊社を訪れるが、ことごとく「会長、私共の街は温泉で生計を立てているが、自らトップセールスを行って成果を上げないと選挙で落とされてしまう…」と言う。熱意に負けてタイ人のグループを2 ~ 3 本送ると後日直筆の礼状が届くことの繰り返しであり、正に戦場である。

観光政策で提言があるとすれば、目先の成果を求めないことと、他の成功例を踏襲しないことだと考えている。仙北市の農家民宿などは各おのおの々が工夫をこらし連携プレーも素晴らしい。今後も支援したくなる。民間交流団体は秋田県には秋田・タイ王国友好協会があり、タイとの海外交流の推進役になっているが、全国的にみても山形県にある程度でそんなに多くはない。秋田からは自治体(知事、市町村長)を中心に数多くのミッションが当地を訪れ、時には調整役を買って出ることもあり、タイの政府機関、スポーツ団体、特定の企業などとの会議には友好協会の名刺で出席するのだが、公の利益を追求する友好協会の名刺は誠に使い勝手が良い。

秋田・タイ王国友好協会 2018 年度総会

海外交流ならば他県にはない優位性のある交流を…と考え、現在は、個人的にタイとの教育交流に前のめりになっている。数年前のことであるが、タイの名門校(私立が多い)には知り合いも多く、会食する機会があったので「私の故郷秋田は日本で有名な教育県であり子どもたちの成績は毎年トップクラスである」と自慢したところ、どんな教育をしているのか質問を受けた。早速、県の教育庁に直談判し、バンコクで秋田の教育セミナーを行うため教師を派遣してほしいと依頼したら、2 名派遣してくれると言う。クリスチャン系の講堂で行われたセミナーにはバンコク市内の教師600 名程の参加者がありびっくりした。以来、毎年タイから市内の名門校(私立/王立など一貫校が多い)2 ~ 3 校とタイ人教師の視察団2 ~ 3 グループを秋田に送ることになる。私の出身地・由利本荘市の岩城の学校では全校生徒が剣道着姿で歓迎会を行い、ニプロハチ公ドームで行われる大館市のきりたんぽまつりは2 年連続でタイの生徒が参加しているが、彼らは来年もまた行きたいと言う。

時には秋田からも高校生の選抜隊がタイを訪れることもあるが、「何が目的で勉強しているの」と全員に質問することにしている。答えの多くは名門大学に入学したいということである。これからの時代は評価の基準は個人であり学校名ではない、トップリーダーを目指せとお節介を焼くのだが、あまり説得力はないらしい。逆にタイの多くの若者は一部を除いて名門校に入学してもせいぜい役人、学者、弁護士になれるぐらいで金持ちにはなれないと現実的である。

バンコクでは12 月頃になると日本人会主催の盆踊り大会(タイ人が2 ~ 3 万人参加)が開催されるが、あるとき北都銀行の駐在員より会場で屋台の出店を県人会で行いたいと言われた。県に協力をお願いし、「秋田こまちのおにぎり」と「横手やきそば」を県人会の有志で販売することになったが、「会長、おにぎり500 個完売しました」と汗だくになって報告してくれるのである(県人会の幹事は北都銀行の駐在員にお願いしている)。見返りは秋田県の首長が置いていった秋田の酒での飲み会である。

秋田県はこれまで多くのタイとのMOU(趣意書)を締結しており、当地で行われる締結式に立会人として参加する事もとても多い。他県と比較して数・内容においても積極的であり、その原動力になっているのが秋田・タイ王国友好協会と考えている。

最後に私事だが、今年でタイ在住51 年になり、海外交流の相談を受けても秋田のことは何ひとつ知らず、しかし海外交流のおかげで生まれ故郷の秋田に誇りを持てることに感謝している。

この記事を書いた人

バンコク秋田県人会(蕗の会)

会長菊地 久夫

秋田県由利本荘市出身。
1970 年、明治学院大学卒後タイへ単身渡航。1980 年、バンコクでS.M.I. TRAVEL 創業(国内5 都市/アジア8カ国15 都市)。バンコク秋田県人会(蕗の会)会長、日泰旅行業協会副会長、秋田タイ観光交流特別顧問、秋田・タイ王国友好協会顧問。

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